
今日は左官の歴史と、その語源についてご紹介します。
左官の起源は、縄文時代、今から約13000年前にまで遡るといいます。
縄文時代の主な住居、竪穴式住居の壁の材料となる土を積み上げて土塀を作っていたことが、左官の始まりと考えられているそうです。
その後、飛鳥時代には石灰を使用して白塗りの壁を仕上げたり、細木を使用して壁を作る技術も生まれ、左官はどんどん進化していきました。
奈良時代にはこれまでには無かった新しい建築技術も導入され、寺院が建てられ、江戸時代には漆喰仕上げが開発され、頻発していた火事の抑制に貢献しました。というのも、漆喰の主原料であった消石灰は不燃性の成分であり、また漆喰は固まると石灰岩に戻る特徴を持っています。なので、漆喰は燃えにくく、不燃材料として建築基準法の中でも認められているのです。
では、そもそもなんで左官というのか、その語源についてご紹介します。今 左官の語源については諸説ありますが、今回は主な説として挙げられているものを3つご紹介します。
1つめは官職として与えられた説です。
昔は官邸に出入りするためには、官職が必要だったため、建築の壁塗りに携わる人に左官という官職を与え、その時の名称が今でも使用されているという説です。
2つめは階級の名残である説です。
平安時代の宮殿の建築や、宮中を修理する職人を"木工寮(もくりょう)の属(さかん)と呼んだそうです。
属は、律令制で各官庁の階級を"かみ" "すけ" "じょう" "さかん"と構成した四等官のひとつだと言います。
壁塗り職人は木工寮に任命され、出入りを許可されていたことから、さかんと呼ばれるようになったという説です。
3つめは天皇から貰った称号の説です。
645年に御所の外郭に綺麗な土塀を作った許勢波多哀し(こぜはたお)という職人が、天皇から賜った称号が左官だったとされる説です。
645年と言えば、まだ律令制度が確立される前なので、もしこの説が有力なのだとすると、1300年以上前からそう呼ばれていたことになります。